長らく更新をお休みしていましたが、久しぶりのブログ更新です。
今回は、2023年8月に承認されたタグリプチン錠「サワイ」を取り上げてみたいと思います。
シタグリプチン(ジャヌビア®/グラクティブ®)
製品情報
有効成分
一般名:シタグリプチンリン酸塩水和物
剤形・規格
一般名:シタグリプチンリン酸塩水和物
剤形・規格
ジャヌビア®錠12.5mg(2013年9月承認・11月薬価収載)
ジャヌビア®錠25mg(2009年10月承認・12月薬価収載)
ジャヌビア®錠50mg(2009年10月承認・12月薬価収載)
ジャヌビア®錠100mg(2009年10月承認・12月薬価収載)
製造販売元製造販売/MSD株式会社(ジャヌビア®錠)
製造販売/小野薬品工業株式会社(グラクティブ®錠)
効能・効果の変遷
シタグリプチン(ジャヌビア®/グラクティブ®)は、2009年10月の最初の承認から3回の効能追加を経て、現在の効能・効果「2型糖尿病」となっています。基本特許と延長登録
シタグリプリンの基本特許として、物質特許(特許3762407)が登録されていますが、この物質特許は、最初の承認とその後の3回の効能追加の承認のそれぞれについて、計4回の存続期間の延長が登録されています。
パテントリンケージ
パテントリンケージとは、ジェネリックの販売後に、特許侵害訴訟などにより製品の安定供給の問題が生じることのないよう、薬事当局(厚生労働省/PMDA)がジェネリックの承認にあたって、特許の有無を考慮する仕組みのことを言います。
日本型パテントリンケージの基礎となる医政経発第0605001号「医療用後発医薬品の薬事法上の承認審査及び薬価収載に係る医薬品特許の取扱いについて」には、
”先発医薬品の有効成分に特許が存在することによって、当該有効成分の製造そのものができない場合には、後発医薬品を承認しないこと。”
”先発医薬品の一部の効能・効果、用法・用量(以下、「効能・効果等」という。) に特許が存在し、その他の効能・効果等を標ぼうする医薬品の製造が可能である場合については、後発医薬品を承認できることとすること。この場合、特許が存在する効能・効果等については承認しない方針であるので、後発医薬品の申請者は事前に十分確認を行うこと”
と記載されています。
つまり、この医政経発第0605001号は、
1.先発品有効成分を保護する物質特許が有効に存続している場合、
2.効能・効果、用法・用量の全てを保護する用途特許が有効に存続している場合、
ジェネリックは承認されないことを示しています。
シタグリプチン(ジャヌビア®/グラクティブ®)の場合、パテントリンケージの対象となる物質特許が少なくとも2025年2月21日まで、最大で2026年3月30日まで延長されていますので、当初、シタグリプチンの参入時期を次のように予想していました。
予想していたジェネリック参入時期
現在のシタグリプチン(ジャヌビア®/グラクティブ®)の効能・効果は、「2型糖尿病」一つですが、効能・効果の追加毎に物質特許(特許3762407)の存続期間が延長されているため、「2型糖尿病」という一つの効能・効果の中で、単剤で投与する場合/併用する薬剤の種類によって満了日が異なるという現象が生じています。
シタグリプチン(ジャヌビア®/グラクティブ®)のジェネリックの場合、「2型糖尿病」という一つの効能・効果の中で、いわゆる“虫食い”が認めれるか否かによって、2025年8月承認・12月薬価収載(ケース1)と2026年8月承認・12月薬価収載(ケース2)という二つのケースを予想していました。
ケース1は、「2型糖尿病」という一つの効能・効果の中で、いわゆる“虫食い”が認めれる場合です。
これは、物質特許(特許3762407)の2回目、3回目と4回目の延長期間の方が1回目の延長期間よりも早く満了するため、「2型糖尿病(ただし、以下のいずれかの治療で十分な効果が得られない場合に限る;⑤食事療法、運動療法に加えて α-グルコシダーゼ阻害剤を使用、⑥食事療法、運動療法に加えてインスリン製剤を使用、⑦食事療法、運動療法に加えて速効型インスリン分泌促進薬を使用」といった効能・効果で2025年8月に承認され、1回目の延長期間が満了する2026年3月に、「①食事療法、運動療法のみ、②食事療法、運動療法に加えてスルホニルウレア剤を使用、③食事療法、運動療法に加えてチアゾリジン系薬剤を使用、④食事療法、運動療法に加えてビグアナイド系薬剤を使用」の効能・効果が追加され、先発と同じ「2型糖尿病」となるというケースです(以前、「DPP4と特許延長~アログリプチンとビルダグリプチンを例に~」で取り上げましたが、いささかこの類の虫食いには疑問がありますが…)
ケース2は、「2型糖尿病」という一つの効能・効果の中で、いわゆる“虫食い”が認めれない場合です。
これは、物質特許(特許3762407)の1回目の延長期間が満了し、先発と同じ「2型糖尿病」という効能・効果になるまでジェネリックが承認されず、2026年8月になって初めてジェネリックが承認されるというケースです。
ところが、この予想とは異なり、2023年8月15日付でシタグリプチン錠12.5mg / 25mg / 50mg /100mg「サワイ」(製造販売:メディサ新薬株式会社)が承認されました。そして、2023年8月17日付のミクスOnlineの記事によるとAGではないそうです。
それでは何故パテントリンケージが発動することなくAGではないシタグリプチン錠「サワイ」がこのタイミングで承認されたのでしょうか?
可能性1:MSDからライセンスを受けた
特許権者からライセンスを受ければパテントリンケージは発動しないため、沢井製薬がMSD社からライセンスを受けたという可能性が考えられます。
ただ、可能性1には腑に落ちない点があります。それは、アリピプラゾール(エビリファイ®)のように「無効審判請求⇒無効審判取下げ」といったようなライセンスを想起させる出来事がないということです。もしMSD社からライセンスを受けたのであれば、MSD社と沢井製薬との間で直接交渉が行われ、条件面での折り合いがついたものと思われますが、ライセンスを引き出せるほどの条件が何であったのか、とても気になるところです。
可能性2:延長された特許権の効力が及ばないと判断された
特許の存続期間は、原則、出願から20年間ですが、医薬品の場合、政令で定める処分(承認)を受けるにあたり所要の試験・審査等に相当の長期間を要し、特許権の存続期間が侵食されるため、最大5年間の延長が認められます(特許法第67条第4項)。そして、延長された特許権の効力は、その延長登録の理由となった政令で定める処分(承認)の対象となった物(その処分においてその物の使用される特定の用途が定められている場合にあっては、当該用途に使用されるその物)についての当該特許発明の実施以外の行為には及ばない(特許法第68条の2)と定められています。
ここで、物質特許(特許3762407)の延長登録で「処分の対象となったもの」を見てみると、「有効成分 シタグリプチンリン酸塩水和物」と記載されています。そして、ジャヌビア®のインタビューフォームには、100mg錠には、シタグリプチンリン酸塩水和が128.5mg含まれることが記載されています。
一方、承認簿に記載されたシタグリプチン錠100mg「サワイ」の有効成分は、「シタグリプチンリン酸塩124.06mg」と記載されており、ジャヌビア®錠100mgに含まれるシタグリプチンリン酸塩水和よりも若干、分量が少なくなっています。これは水和水の分量であると考えられ、シタグリプチン錠100mg「サワイ」に含まれるシタグリンプチンリン酸塩は無水物であると考えられます。
そうすると、延長登録の理由となった政令で定める処分(承認)の対象となった物がシタグリプチンリン酸塩水和物であるのに対し、シタグリンプチン錠「サワイ」の有効成分はシタグリプチンリン酸塩無水物ですから、形式的に見れば、水和物と無水物という点て異なっているため、延長された特許権の効力は及ばないと見えなくもありません。
そのため、厚生労働省は、延長された物質特許(特許3762407)の効力は、シタグリプチンリン酸塩無水物を有効成分とするシタグリプチン錠「サワイ」には及ばないと判断し、パテントリンケージを発動することなくシタグリプチン錠「サワイ」を承認したのではないか?という可能性が考えられます。
ただ、可能性2にも腑に落ちない点があります。それは、オキサリプラチン事件(平成28年(ネ)第10046号)で、延長登録された特許権の効力範囲について、次のような考え方が示されてるということです。
“延長された特許権の効力は、政令処分で定められた「成分、分量、用法、用量、効能及び効果」によって特定された「物」(医薬品)のみならず、これと医薬品として実質同一なものにも及ぶというべきであり、第三者はこれを予期すべき。”
“政令処分で特定された「物」(医薬品)と、対象製品とで異なる部分がある場合であっても、「僅かな差異又は全体的にみて形式的な差異にすぎないとき」には、その製品は、政令処分の対象となった物と「実質同一」なものに含まれ、延長された特許権の効力範囲に属する。”
“「僅かな差異又は全体的にみて形式的な差異」かどうかは、特許発明の内容に基づき、その内容との関連で、政令処分において定められた「成分,分量,用法,用量,効能及び効果」によって特定された「物」と対象製品との技術的特徴及び作用効果の同一性を比較検討して、当業者の技術常識を踏まえて判断すべき。”
また、薬食審査発0616第1号「異なる結晶形等を有する医療用医薬品の取扱いについ」には、以下のように記載されています。
“1.一般的名称における取扱い水和物/無水物の相違は、一般的名称の命名の際、明確に区別することとしているが、結晶形の相違についてはこの限りではないこと。2.異なる結晶形等を有する医薬品の承認申請(審査)上の取扱い(1) 基本的考え方結晶形又は水和物/無水物の違いは、塩違い(酸塩又は金属塩)又はエステル違いの場合と異なり、化学構造の基本的相違を伴わないことから、一般的名称が異なる場合にあっても、承認申請(審査)にあたっては、原則として、次のとおり取扱うものとする。既承認医薬品の原薬と結晶形等が異なる原薬から成る製剤を新規に承認申請する場合には、既承認医薬品と同一の有効成分から成る製剤を申請する場合と同様に取扱うこととする“
つまり、承認申請の審査上、水和物/無水物の違いがあっても、それは同じ有効成分として取り扱われることを示しています。
シタグリンプチンリン酸塩水和物とシタグリンプチンリン酸塩無水物は、水和物と無水物という点で差異がありますが、医薬品分野では、同じ有効成分と取り扱われ、かつ、ジェネリックとして承認を受けた以上、シタグリンプチンリン酸塩水和物とシタグリンプチンリン酸塩無水物が生物学的に同等であると担保されているわけですから、この差は僅かな差異又は全体的にみて形式的な差異であり、シタグリンプチンリン酸塩水和物とシタグリンプチンリン酸塩無水物は「実質同一」であるという考え方もあり得ます。
この「実質同一」を考慮すると、延長された物質特許(特許3762407)の効力は、シタグリプチンリン酸塩無水物を有効成分とするシタグリプチン錠「サワイ」にも及ぶととらえることもできます。
そうすると、医政経発第0605001号「医療用後発医薬品の薬事法上の承認審査及び薬価収載に係る医薬品特許の取扱いについて」における“先発医薬品の有効成分に特許が存在することによって、当該有効成分の製造そのものができない場合”に該当し、厚生労働省にはシタグリプチン錠「サワイ」に対してパテントリンケージが発動するという選択もあり得たわけです。
オキサリプラチン事件(平成28年(ネ)第10046号)はとても有名な裁判例で、製薬の分野で特許に携わる人間であれば当然認識しているので、厚生労働省も把握していたはずです。厚生労働省には、シタグリプチン錠「サワイ」に対してパテントリンケージが発動する・発動しないという二つの選択肢がある中、あえてパテントリンケージを発動しないことを選択した理由がとても気になるところです。
シタグリンプチン錠「サワイ」は2023年12月に薬価収載されるのか?
私は、可能性1の場合であっても可能性2の場合であっても、2023年12月薬価収載はないと予想しています。
上記可能性1の場合
物質特許が少なくとも2025年2月21日まで、最大で2026年3月30日まで延長されており、MSD社がこれら満了日より大きく早く後発医薬品の参入を認めるとは考えにくいため、他の後発医薬品の承認状況を見ながら、2025年8月~2026年6月のどこかで薬価集収載するのではないかと推測します。
上記可能性2の場合
2023年12月に薬価収載すれば、MSD社から差止請求(特100条)や損害賠償請求(民709条)がされる可能性が高いと考えられます。
”平成30年12月の薬価基準収載(平成30年厚生労働省告示第415号)以降に収載された後発医薬品について、薬価基準収載日から起算して5年を超えない期間内において、欠品、出荷調整、回収等により供給不足を生じさせたことのある製造販売業者については、薬価基準収載希望書提出の際に念書を提出いただく場合があり、当該念書においては「平成30年12月以降の薬価基準収載品目(今回及び今後収載する品目を含む。)のうち、薬価基準収載日から起算して5年を経過していない後発医薬品について、本念書の提出以後新たに供給不足を生じさせた場合には、当該発生日以降の最初の薬価基準収載及びその次の薬価基準収載を自発的に見送る」旨を記載いただく”
と定められており、もし差止が認められ、安定供給に支障をきたすと、その後の後発医薬品の薬価収載を見送るというペナルティが課されるおそれがあります。
また、損害賠償請求の際、後発医薬品の発売による先発医薬品の市場シェア喪失による逸失利益の損害賠償だけでなく、後発医薬品が薬価収載されたことによる新薬創出加算喪失にともなく薬価引下分の損害賠償を請求されるおそれもあります。もし訴訟に負けた場合、沢井製薬が受けるダメージはとても大きく、2023年12月に薬価収載をするという選択はなかなかできないのではないかと考えられ、物質特許満了後の2026年6月に薬価集収載するのではないかと推測します。
最後に
延長登録制度の趣旨は、医薬品の薬事承認を得るために必要となった臨床試験や製造販売承認申請の審査によって浸食された特許発明の実施期間を回復することです。シタグリンプチンリン酸塩水和物の承認に基づく物質特許の延長の効力がシタグリンプチンリン酸塩無水物を含むジェネリックには及ばないとすれば、延長制度の趣旨が没却してしまうのではないかという気がしてなりません。
一方で、本来、承認されるべきジェネリックが承認されない、延長された特許権の効力範囲に関する裁判例が蓄積されないとういった弊害を考えると、ただパテントリンケージを強化すればよいというものでもないとも感じます。厚生労働省は「求めてくれば議論」するそうですので、もっとバランスの取れた制度設計がされることを期待したいところです。